結果について

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自分に求められていること と 自分のやりたいこと の折り合いをつけることは大変難しいことだと再認識した。

依頼者がいる分ある程度自分の意思は拘束されており、身動きできる範囲での制作が強いられる。それで窮屈に感じることもある。
しかし、自分のやりたいこと、なんでもやっていいよ と手放しに言われた時、却って縛られていた時よりも身動きが取れなくなる。
 
関係性によって自分ということの拘束度も変わってくる。
この人の前ではこういう姿は見せられないなとか、この人の前では素でいられるなとか、この人の前ではこうでいたいなということがそれぞれあると思う。
「私」のために出されたお題は、言い換えれば あなたにこれを好きに表現して欲しい ということであり、かなり自由度が高い。しかしそこに人間関係が関わってくることにより自由が多少拘束される。
自由度 拘束度 ともに高くても難しいが低くても難しい。
今回は先ほど述べた通り 私へのお題 なので自由度はある程度高い設定である。
(逆に受験の出題においては全員に同じく与えられ、試験ということを考えると押さえておかなくてはいけない部分が多々あるためかなり自由度が低いが、評価する相手は他人なため拘束度は低いと思われる。つまりは大事なことをやっておけば後は自分というものを出せばいいということである(それでもさらに受験ということ考えると学校の傾向について重要になることもあるため拘束度が上がることもある。))
 
他人から出されたお題については先行する私へのイメージがないため特に自由度が高い。そして私も相手について知らないため、拘束度は弱めである。
ある程度手放しに近い状態であるためかなり構想には苦労した。
 
母親から出されたお題については自分のことを知っているため少し自由度は低い。そして関係性が近親者であるのと母親も美術系の大学を卒業していることもあり、母親の前での自分はこうであるというのが決まっているため拘束度は高めであった。
 
同期から出されたお題については、自分のことを知っている人だからこそ、自由度が高いと判断した。そして普段の制作も知っているしやりたいことも知っているため拘束度が低いと思った。このお題は常々自分がやりたかったことでもあったので自由度が高くても比較的やりやすかった。
 
研究した結果、制作については決まった法則もなくその状況、場合により変化していくことがわかった。
ただこの研究も一定期間におけるものであるので、完全な結果とはいえないため、これからも自覚して継続していくことが大切だと思った。
 
・今回の反省点
こういったテキストを書くということを決めて制作していたため、「テキスト有りきの作品」になってしまった。作品とテキストがお互いに言い訳ができる状況なので、きっちりと期間を分けて制作するべきだった。
 
ちなみにブログという形式をとったのは編集可能であるため。
意見が変わっていくこともあるため追記編集していきたいと思っている。