『日常』
制作について
大作展示ということで、普段の制作よりも自由度が高いため、自分の制作についての研究をねらいとした。 将来何かを制作していく人間になると何か依頼を戴くことがあると思う。 誰でもよかったら公募でもなんでもすればいいわけだから、名指しで依頼された時には私への需要が生まれる。 そういった需要を自ら知り、何を求められているのかを考えることによって自主制作にも役立つはずであると考えた。 今回は3人のそれぞれ自分との関わり方が違う人に協力していただき、関係性と需要について研究しようとした。
『日常』について
- 関係:母親 40代
母親は自分のことをよく知っているが、家にいる以外の 私 や、 私の絵 のことを知らない人として選んだ。
『日常』という題をもらったので、自分の日常とは何かまず考えたときに、”家から予備校に行くまでの通学路”というふうに考えた。
当然、予備校には一人で行っているので、その様子は母親は知らない。
『日常』そして『通学路』と考えたときに、そこには”無意識”があると気づいた。
皆さんも、毎日毎日同じ道を歩いていて、気づいたら目的についているという経験はないだろうか。必ず同じところで道路の反対側に渡っていたり、何気なくとある家を同じタイミングで毎日見ていたりする。
(習慣になっているということは、今は無意識でも、その行為を始めたときは何かしらの意図があったに違いないと思う)
これらのことから、自分が昨日の、その前の、もっと前の足跡を辿っているという表現にした。
▲実際に履いている靴
・50号の『日常』について
これは最初の案である。通学路ということから自分がよく電線をみていると気づき、家から予備校まで常に見えているということもあり制作していた。
ねらいよりもビジュアル重視だったこと、考えとして深まっていかなかったことから、制作を中止した。